福澤諭吉が1歳6ヶ月の時父が急死したため、天保7年(1836)秋、母子6人で大坂の中津藩蔵屋敷から藩地の中津に帰って来ました。
 最初に住んだ家は、大坂赴任前の父が住んでいた小さな家で、建物は現存しませんが、宅跡として整備され見学することができます(福澤旧居の駐車場脇に位置しています)。その後移り住んだ家が、現在残されている福澤旧居です。

刺客に狙われた話
 福澤諭吉はたびたび暗殺されそうになりました。諭吉の自伝『福翁自伝』には、今残されている旧居を舞台にした次のような話が記されています。
 明治3年(1870)10月、諭吉が母と姪のいち(兄三之助の長女)を迎えに東京から中津に帰った時のことです。中津の若い藩士のなかには、諭吉を西洋かぶれと嫌い暗殺しようと狙う者がいました。いよいよ暗殺を決行するその日に、たまたま諭吉の親族である服部五郎兵衛がこの家を訪ねてきました。諭吉と五郎兵衛は、いつまでも酒を飲みながら夜中を過ぎても話し込みました。諭吉が寝入るのを狙って外で待っていた刺客はその機会を逃し、諭吉は命拾いをしました。諭吉は後にこのことを知って大変驚いたそうです。