誕生(テスト)
福澤諭吉は天保5年12月12日(1835年1月10日)、中津藩士の父福澤百助、母順の次男として大坂に誕生しました。父は有能な役人でしたが学問を好み、お金を扱う大坂での仕事は本意ではありませんでした。しかし能力を高く買われ、長く一家で大阪の蔵屋敷に赴任していたのです。ところが諭吉1歳半の時、父が急死。一家は郷里中津に戻りました。空家となっていた百助の家で生活をはじめた一家は、長い大坂暮らしで言葉や服装が異なり、郷里の人々となかなかなじむことができなかったと伝わります。
系図
「上諭条例」第1冊(複製)
嘉永6(1801)年刊か / 慶應義塾図書館蔵
清朝の法令集。全64冊。諭吉の父百助が、長年欲しがっていたこの書を入手した日に男の子が生まれたため、題より一字をとって「諭吉」と名付けられた。
加島屋宛借用証文
福澤百助宛書簡(複製)
天保4(1833)年頃8月付 / 中津市歴史民俗資料館蔵
中津藩が大坂の豪商・加嶋屋久右衛門から金千三百両の借用を申し入れた証文。大坂堂島の中津藩蔵屋敷で回米方の任についていた福澤百助の署名がある。この古文書は諭吉の姉・礼が嫁いだ小田部家の襖の下張りから見つかった。
福澤百助宛廣岡久右衛門書簡(複製)
年未詳11月 / 中津市歴史博物館蔵
廣岡久右衛門は加島屋廣岡家の8代目当主。加島屋は中津藩お抱えの両替商であった。百助は藩の金銭を扱う回米方の職についており、加島屋はビジネスパートーナーであった。この書簡は寒中見舞いで、酒「沢の鶴」を百助に贈るという内容で、百助が加島屋から評価されていたことがわかる。
摂州大阪全図(複製)
天保8(1838)年
福澤諭吉が誕生した頃の大阪(大坂)の様子を描いた図。堂島玉江橋北詰の矢印部分に誕生地である中津藩蔵屋敷の所在が示されている。
福澤諭吉誕生地記念碑
昭和28(1953)年建立
福澤諭吉が誕生した大坂堂島の中津藩蔵屋敷後に立つ碑。背面から見ると平和の象徴ハトの形をしており、題字は元慶應義塾長小泉信三。蔵屋敷跡一帯は現在、朝日放送(ABC)本社のビルになっている。
中津福澤旧邸平面図(付説明書)
明治10年(1877)年9月24日 / 慶應義塾福澤研究センター蔵
幼少時代を過ごした中津の最初の家を、記憶に基づいて描いた自筆見取図。敷地は37.5坪。当館前駐車場脇の場所にあたり間取りが石で再現されている。諭吉17歳の頃に、母の実家だった現存家屋に転居した。
福澤諭吉旧居模型
当館蔵
百助を失った一家は、中津に帰郷すると、大坂赴任前の百助が住んでいたこの粗末な平屋に入居した。嘉永2(1849)年頃、一家は現存する家屋に移り住んだ。